会報No.8(昭和55年11月1日)

会報No.8(昭和55年11月1日) 会報
会報No.8(昭和55年11月1日)
  1. 《第3回定期総会記念講演より》建築家から見た函館の観光への一つの見解
    1. ☆「古代建築を守る評価について」
    2. ☆「観光の有り方について」
    3. ☆「函館で保存したい個々の建物」(保存の手本)
    4. ☆「函館で保存したい街区」
    5. ☆「文化財保存の有り方」
    6. ☆「街全体を観光資源にするにはどんな方法があるか」
  2. 《第3回全国町なみゼミ小樽・函館大会において》―本会代表特別報告―
    1. ―はじめに―
    2. ―当会発足の経過―
    3. ―移動説のくすぶりについて―
    4. ―今後の問題点―
    5. ―おわりに―
  3. 小樽ゼミに参加して…
  4. 函館集会に参加して…
  5. 第3回全国町並みゼミ小樽・函館大会宣言文・全容 小樽・函館宣言
  6. 何を守り・育てるつもりか
  7. 西部に息吹きを…
  8. 注目の「街と建物―明治・大正・昭和」北海道地区報告会町づくりと近代の遺産~北海道に現存する古建築の報告会と港町シンポジウム~
    1. ☆注目の全国巡回「街と建物」の報告会
    2. ☆まず「日本近代建築総覧」を紹介
    3. ☆歴史的建造物の現在地保存が筋
    4. ☆提言および討論「港町;魅力の再構築を考える」
      1. 提言1. 活力ある魅力を―函館の明日を考える―
      2. 提言2. 港町の景観的特徴とその生かし方
      3. 提言3. 臨港地区の保存と再開発―横浜の事例から―
      4. 提言4. 港湾行政の役割―その可能と限界―
  9. 部会だより シリーズ≪2≫ 函館の魅力ある建造物
    1. 1 相馬商事株式会社
    2. 2 大町郵便局
  10. 《トヨタ財団全国巡回地区大会盛岡市開催より》盛岡大会で感じたこと
  11. 盛岡市における環境保全制度の背景と条例の一部紹介
  12. 歴史の散歩 シリーズ≪7≫ 土蔵と人情と函館と…
  13. 函館の歴史的風土を守る会組織
  14. 会のあゆみ <55.5.11~9.23>
  15. 事務局だより
  16. へんしゅうこうき

《第3回定期総会記念講演より》建築家から見た函館の観光への一つの見解

現早稲田大学名誉教授 明石 信道

略歴
○函館市青柳町に生まる
○新川小、函中を経て早稲田大学へ
○現早稲田大学名誉教授

☆「古代建築を守る評価について」

 建物の評価というものは、その時の技術の評価もあり、又歴史的存在の評価と経済力の評価もある。後世これを残すべきかべからざるかの決め手を考えるべきである。

☆「観光の有り方について」

 観光事業はいろいろの面で解釈されている。古建築や新しい建物に余り固執する訳にもいかない。昔の個々の建物をみる事と街全体をみる、この二つに区別して考えてみたい。

☆「函館で保存したい個々の建物」(保存の手本)

①相馬商事株式会社
 市内で最も保存の手本となるのは、大町の同建物である。同建物こそ相馬氏から買い取って保存すべきである。

②旧渡島支庁舎のレンガ書庫
 是非保存したい。(昨年11月3日市の指定を受ける)

③ハリストス正教会
 保存したい最たる建物だ。このガンガン寺はビザンチンをモスコームした建物で、相当のベテランでないと設計できない。建物の胸にあれだけのグローブをつける事はアイデアがオリジナリティである。ビザンチンの最たる建物だ。この点で高く評価する。函館の観光のシンボルになったのは当然である。

④日下部邸
 旧会所町(現末広町)には木造の民家が多く残存する。中でも日下部邸は純漁業家である。所謂、練大漁期時の代表的資産家の最たる建物ではないか。あの辺りは海船問屋、漁具或いは一旗揚げた人達の日本瓦葺の和風建築が5~6軒ある。これら建物は一つ一つ調査する必要がある。非常に貴重な建物と思う。

⑤レンガの防火壁
 主に十字街の裏通りや大町にある。最も代表的な防火壁はかつて明治40年の大火で青柳町に燃え移る火を遮断した屏があった。巾3尺で滝野という、はしけなどで資産家になった家のレンガ屏で建物は洋館であった。あの火事を屏で押えた事素晴らしい。

⑥カトリック教会の石屏
 カトリック教会に横たわる部厚い石屏は印象深い。あれは本当の函館山の丸くて赤い自然石である。

⑦水道局の官舎
 チャチャ登りの突当りに官舎らしき木造の長屋がある。水道局の官舎で開拓使の頃その儘の建物で、価値ある大変な建物である。

⑧土蔵
 知人の映画監督の某氏「…末広町から大町にかけての雰囲気は実に得がたいものだ。特に土蔵づくりの家が多いのには感心した」と。土蔵づくりは火災の度に増えた。街中の土蔵は周辺に色ありを添えている。西部には残したい土蔵がかなりある。

☆これ迄市内には保存為損った建物がある。旧函館税関庁舎がそれである。あれはルネッサンスの建物で惜しかった。返えす返えすも反対すべきで、壊してから気がついた。ついでにお隣りの海上自衛隊どこか脇の方へご遠慮願いたい。

☆「函館で保存したい街区」

①市街地(街中)に建物の美観地区を指定したい。美観地区の建物は個々のデザインにおいて審査をうける。特に元町周辺は指定されるべきである。

②函館山は美しい。函館山からの眺めはなお美しい。而し眼下に広がる街並の屋根はモザイクタイルのようだ。屋根の色彩はアンケートをとって統一性を図るべきである。

☆「文化財保存の有り方」

①飛騨(岐阜)の白川村の合学造りに見られる文化財保存のあり方は「文化財にずると襖も天井の張り替えもできない。木1本石1つ脇へ寄せる事もできない。不自由な規則はいやだ。」と言い乍らも保存の意義を見い出し行政の力不足を土地の者が互いに補い合って努力する事にある。文化財保存とはそういうものである。

☆「街全体を観光資源にするにはどんな方法があるか」

①横津岳に市民の為の大規模な公園構想を図るべきだ。―《考察の事由》―○イ現在の函館公園は公園から二つの海が見える全国でも希な公園だ。而し残念乍ら公園自体はスケールが小さく箱庭的だ。○ロゴルフ場ばかり造っていては市民の憩いの場がない。②函館の特徴ともいうべき海と港を活かす方法を考えるべきである。③市内の所々に老人の為の小さな広場を造るべきである。④この街は建築家が多くて仕事が少ないようだ。これ等の若い建築家の皆さんを動員したならもっとよいものができると信じる。例スポーツランド、野球場等は考える余地がある。⑤市内の学校の建物はどの学校をみても観光客をあざむく建物ばかりだ。せめて壁の色を塗り替える等出来ないか。

☆終わりに当り、建物はただ単に格好がついて窓がついてだけいればいいんだというだけでは函館の街は死んじゃう。文化愛好なんていうのは大人の空念仏になる。そんな事のないよう皆さんでしっかりこの函館を守って戴きたい。

《まとめとしての雑感》講演を振り返りあの独特な明石節ともいうべく語り口調は、終止聞く者を引き込み、しかも内容は専門家の実に手厳しい視点でせまり、当会にとっては様々なご提言を戴いた貴重な講演であった。

〔なおまとめに当り、講演内容の全てを収める事ができずー部割愛した事と、口語体、文語体の交織を合せてご了承下さい。〕<田中>

《第3回全国町なみゼミ小樽・函館大会において》―本会代表特別報告―

副会長 大河内 憲司

*とき 55年5月24日(土) *ところ 小樽医師会館

―はじめに―

 函館は安政6年(1859年)に開港、爾来、幕府直轄の地として文字通り、エゾ地の首都であり、明治半ばまで文化、経済の中心として先進性を誇り未だに並々ならぬ自負心を持っている土地柄である。また、函館人は自ら人情が厚いと自負しているが、然しその人情は、よそ者や新参者に対しては一変して冷たく排他的であり、函館ナショナリズムとも言われ、これは函館の歴史によって作られた精神的な風土なのかもしれない。
 ごく最近迄、函館は造船業界、北洋漁業に大きく依存し、有数の歴史的遺産と自然的景観を有しながらも、それを街づくりの中に生かそうとする文化的視点が欠落したまま、経済偏重の道を辿って来たのである。然しここ数年、函館ドックや漁業界の不振などにより、函館はこれまでの路線とは異なった街づくりへの、質的変換が望まれる事態となっている。さて、函館発祥の地である西部地域は海外文化の香りをとどめる近代建築が数多く残っており、自然景観と和洋建築とが相まって独特の雰囲気を醸し出している。この地区に明治42年建造の旧渡島支庁庁舎がある。

―当会発足の経過―

 この支庁庁舎の野幌·開拓村移転を決定した市文化財調査委員会の答申に対し、当会副会長、田尻女史が道新に”現在地で修復を”と移転反対の投書を寄せたのが52年9月、以後、当会発足までの動きは目まぐるしく且つ急テンポに進行、53年4月22日「函館の歴史的風土を守る会」が正式に発足した。これまで丁度満2年、「学び、知らせ、守る」の三原則をスローガンに文化財保存のための運動を展開、半年後の10月には、「旧渡島支庁庁舎の評価と保存、利用に関する提言」を市に提出、以後、庁舎は現地保存と決定した。更に昨54年11月には、庁舎は市有形文化財の指定を得たのである。欺くて旧渡島支庁庁舎問題は。2年有余にして一件落着かに見えたのである。

―移動説のくすぶりについて―

 然し最近、西部の元町公園整備計画の一環として、庁舎を敷地内の別な場所にずらそうとする動きがある。「基坂の下から眺めると手前にある旧渡島支庁庁舎のため。旧函館区公会堂がさえぎられて見えない。お上が造った威圧的な庁舎より市民によって建てられた公会堂こそ正面に見えるようにすべき」というのが移動派の主張の一つである。公会堂は豪商、相馬哲平の寄附金で明治43年に完成、貴重な洋風建築物として国の重要文化財に指定されているものである。移動派の人たちの意識の底には、明治新政府に対する反発が未だに残っているという観方もあり「保存どころか、ぶっつぶしてほしいくらい、守れというのはヨソ者ばかり」という古老もいるという。よそ者的排他意識、怨念など今更という感もするのだが、然し町並みや文化遺産の整備·保存に関しては、住民の合意·参画なしには進めていけないのだから単なる一部の声として看過するわけにはいかない。

1) “お上”が造った威圧的庁舎云々……」については、建造物の持つ歴史的連続性と今日的存在意義を度外視した視野狭窄がそこにはある。例えば城下町にある”城”は今や身分制度やお上の威光を示すものではなく、その都市のランドマークという精神的機能を持ち、その存在を再評価されている。

2) “ヨソ者”という考えについてであるが、函館の住民構成をみると西部地区は生粋の函館っ子が殆んどであるのに対し、新興の東部は流入流出する人たち、即ち転勤族とか途中から移住して来た住民が多い。然し函館っ子でないから函館の歴史·魅力が分らないということにはならない。たとえ短期間であろうとも住み心地の良さを求め、町づくりに関心を持つのは当然である。今やその土地に生まれ育ち、そこで死んでいくという住民は少なくなって来ている。都市は絶えず流動化現象の中で発展し変貌していく。そういう状況下では人々は。過去のふるさととは異なった新しいふるさと作りを求めている。これからは函館っ子の力も大切であるが同時に、流入して来る新しいヨソ者たちのエネルギーをも、街づくりの中に注入していかねばならない。

―今後の問題点―

 ①点から面への町並み或いは景観保存のための条例づくりへと働きかける。②調査、再評価、計画という保存修景のプロセスの中で、再評価に重点を置いた歴史的建造物の積極的再利用を提言していく。③次代を担う若者たちが文化遺産や町並みの保存に対して関心が薄い。従って若者たちの参加を積極的に呼びかけ函館の街づくりを考えていく。

―おわりに―

 当会の委員の多くが西部地区に居住しておらず且つ、いわゆる”ヨソ者”であるところに運動面での隘路がある。よそ者意識、排他意識のせめぎ合う函館の精神的風土の中で、我々の西部地区住民への働きかけが鈍っている現状をいかに打破していくかが大切である。町並みとか歴史的遺産というものが、その地域に住む人々の結びつきや連帯感を高め合う場になるべく、函館の排他的精神風土の変革を求め、コミュニティのコンセンサスを得るべく根気のよい運動をしていきたいと思う。

小樽ゼミに参加して…

建築雑考の会Σ 大槻 正敏

 現在私達の廻りでは、速い経済の流れの中で、目先の事のみを考えた開発がどんどん進んでおります。それ等は、町並みとはほど遠い全く計画性の無いものです。これらの現実は私達の将来に不安を抱かせるのに十分なものです。
…「運河と石造倉庫群の町小樽」へ行ったら、運河も石造倉庫もなく、有るのはそれらしき物だけ、そしてそこには立体交差の道路。「洋館と石畳みの坂から見る港の町函館」に来たら、舗装された坂道と、アルミサッシの付いた洋館、そして汚された港…こんな薄っぺらな街にあって果して私達の生活に安らぎが得られるのでしょうか。そして又、観光函館の経済にも不安が残りはしないか。全国各地の気候風土の中ではぐくまれ育った町の顔を無くしたくないと全国から、保存活動を成功させた人々、小樽と同じように必死になって現在活動している人々、京都から、長崎から、小樽の為に、日本の文化の為に、そして、私達の将来の為に、多勢の人達が小樽と函館に集まった。そして必死になって開発と保存との接点を見つける為に討論した。そしてそこには西山、伊藤、大谷の各先生も居た。 小樽運河を守る会の人達の努力、特に若い人達、たぶんこの人達はほとんどの休日を小樽の為に費やしているのではないかと思うほどでした。暮の小樽運河の風景は。格別なものでした。小樽の匂いを感じ、あれが小樽の美くしさなんだと思いました。
 私は函館の町が好きです。5年前の函館の町はもっと好きでした。10年前の函館の町はさらに好きでした。早朝の石畳みの坂の上から函館港を見る。並木の間から見える洋館、坂の下に小さく見えるチンチン電車、港には連絡船が…これが函館の美くしさなのです。
 私達の町函館にも、私達がしなければならない事が沢山あるように思います。湾岸道路、旧渡島支庁々舎移設、文化財の修復、等々、これらは、私達函館に住む者が、本当に函館の町の事を考え、解決して行かなければならない事なのではないでしょうか。
 全国の仲間達に遅れない様に頑張らなければならないと感じたのが今回の全国ゼミに参加した私の実感でした。そして来年の集会にも参加したいと考えております。

函館集会に参加して…

西部生活学校 川田 悦郎

「全国町並みゼミ函館集会」に参加し、小樽運河埋立問題に関連して都市間道路に就て所感を述べたいと思います。私は2年程前迄新潟県長岡市に住んでいました。長岡市は裏日本の交通の要衝に当り、昔から宿場街としてひらけた都市です。参勤交代時代からの旧国道は現代の車社会に対応できず。遂に貴重な美田を埋立て新国道が建設されるに至りました。しかし、その新国道による都市の変化、公害の発生などを目の当りに体験し、かつまた、此度の小樽運河埋立問題を聞き及び筆を取ることにしました。
 私の住んでいた長岡は冬になると必ず雪かみぞれが降る毎日で雪が融ける隙なく道路に積もります。この雪が除雪作業によってうず高く積み上げられ、歩道はもはや雪置場と化してしまいます。そうなると20屯もの大型トラックと人が同じ車道を通ることになり、泥と汚水と雪の混じった汚泥を頭から浴びるのはまだしも、丈余の雪の壁と車の間に挟まれて死亡事故が発生するようになりました。不完全な道路を作ったばかりに人命が失われるようになった一例です。
 次に地下水位の低下と地盤沈下の問題です。長岡市は信濃川の伏流水の上に在る地下水に恵まれた都市で、この豊かな地下水を汲み上げ路上に撒水し消雪する長岡式消雪法の普及に努めました。市民は井戸を堀りポンプを設置し雪に備えました。ところが、いざ消雪を始めると井戸枯れ現象が起こり、中には生産をストップした工場さえ出ました。加えて地盤沈下問題が派生し市当局を驚かせたものでした。新設の井戸は許可制などと騒いでもあとの祭りでした。冬積雪が始まると地表に雪が積もり地下浸透が行われない事を見逃していた結果です。次に騒音と振動の問題です。新国道が完成して東京へ大阪へと長距離トラックが間断なく走り続けるようになりました。ある燃料店主がかノリンスタンドと住宅を新築して営業を始めました。しかし、昼夜の別なく走り続ける車の騒音と地震かと思うような震動に耐え切なくなりとうとう住宅部分の移転を余儀なくされました。
“もうとても住めるものではない”これ程迄に現在の自動車は大きな公害発生能力をもってしまったのです。
 安易な都市計画・道路計画・道路行政は逆に住民に公害特に騒音振動空気汚染などをばらまいてしまうことになりかねません。また、新潟が今や東京への部品供給基地になっているように、その地方の産業·生活文化に及ぼす影響も極めて大きいものであると思います。それ故都市間を結ぶ道路は如何にあるべきか充分先を読んだ検討が先づ緊要だと考えます。小樽運河問題にしても貴重な文化的遺産を失う事にもなるのであればよくよく時をかけて検討すべきであると思います。

第3回全国町並みゼミ小樽・函館大会宣言文・全容 小樽・函館宣言

 全国各地で歴史的環境の保存と再生、さらに創造の運動に取り組んでいる住民組織の連合体である「全国町並み保存連盟」は、1980年5月24日から27日までの4日間、北海道小樽市と函館市で、第3回「全国町並みゼミ」を開いた。
 「小樽運河を守る会」「小樽夢の街づくり実行委員会」「函館の歴史的風土を守る会」を主とする地元の住民を中心に、全国から集まった約30団体の住民運動組織の代表者をはじめ、歴史的環境問題の研究者・学生、この問題と日夜取り組んでいる地方自治体および文化庁、国土庁などの行政担当者など計約500人が参加した。
 今回の町並みゼミの特質は、第一に、その会場を小樽市を中心に選んだことである。小樽市では、道路計画にともなう小樽運河の埋立て問題が今や大詰めを迎え、その行方は地元のみならず、全国的な強い関心を集めている状況にある。私ども参加者は、運河の現場を見、市民の話を聞き、あらためて運河問題と取り組む住民運動を心から支持することを確認した。
 第二の特質は、小樽市をはじめ全国各地で展開されている環境運動の現地報告に加え、あらたに三つの分科会を開いて、歴史的環境問題の直面している問題点と運動の展望を話しあったことである。すなわち第一分科会は、長崎市・中島川を中心とする都市計画事業を事例に、保存運動と住民の理解と参加の問題を討論した。第二分科会は、伊勢市・河崎地区の水辺の歴史的環境保存運動をケースに、保存と開発の原則を探究し、その見直しを話しあった。第三分科会は愛知県·足助町の町並み運動を具体例に、保存・再生の制度·事業のあり方をめぐり、行政と運動の関わりと問題点が追求された。
 これらの討論を通じて確認されたことは、歴史的環境の保存・再生の事業こそ、80年代の都市計画事業の中心にすえられるべき課題だということである。住民の環境問題への関心は、公害から自然保護へ、さらに歴史的、文化的環境の保存へと拡大、深化するなかで、住民の「情報公開」「住民参加」の要求はますます高まっている。これらの原則の上に立って、住民と行政担当者の協力になる歴史的環境保存の長期計画をたてることが、今ほど要請されているときはない。その長期計画にもとづく行政と住民の参加こそが、地域の文化の創造の基盤になると同時に、ひいては地域経済の発展にも寄与するものであると考える。
 しかるにわが国の歴史的環境行政の現実をみると、国、地方自治体を通じてその予算は、開発行政とくらべてあまりにも少ない。「文化の時代」といわれる80年代こそは、これら予算の飛躍的増大とともに、税制面の改革、融資制度の確立の必要性が迫まられている。
 さらに、今回の町並みゼミの第三の特質は、住民運動のもつ歴史的先駆性である。その運動の経験をもとに歴史的環境運動は、公害反体運動、自然保護運動と連係し、広範な町づくり運動の核となるべき展望を自から切り拓いてきた。そして、その過程において住民運動は、目的を達成するために、ときに政治勢力との協力関係が重大課題となるが、基本原則としてあくまでも住民運動の独立性を貫ぬくことの重要さが確認された。
 私ども参加者は、全国的視野に立って、あらためて小樽運河の保存。再生の問題の重要性を認識し、現在、北海道都市計画地方審議会ですすめられている審議に、強い関心を示すことを確認した。さらに、全国各地で起っている歴史的環境破壊の現実、たとえば、伊勢市河崎の河川問題、金沢市の駅前再開発問題、香川県琴平町の高層建築計画問題などが、地域の歴史的環境保存の方向で解決されることを強く要望する。
 私どもは、今日を出発点に、地域づくりの主体として、第三回「全国町並みゼミ」のテーマである”あたらしい町自慢の創造を”の輪を全国に拡げ、前進することを、ここに宣言する。
 1980年5月27日
   第三回「全国町並みゼミ」参加者一同

何を守り・育てるつもりか

文化友の会代表 渋谷 道夫

 今生きている者にとって、歴史的風土を守ることは義務である。しかし、視点をどこに置くかで解釈も違ってこよう。貴会は、名称の大きさと同時に会員も多彩であり、その活躍は注目される。
 本会は、歴史的風土をつくっている人びとの生活文化を見聞し考える活動「体験しよう。発見しよう。活かそう。実践しよう」である。歴史の移り変り、文化や産業の変化によって多くの大切なものが失われ、そして新しいものが生れている。
 例えば、函館弁コは消えつつあるが、われわれは大切に伝えるか、記録するか、保存するか、みんなが日常使うか考え、そして実践してみなければならない。東北弁でもない独得な函館弁コは、まさに北海道の文化を表わす複合語であり、味わいのあるスルメの味にも似ている。やさしさがあり、にぎやかさがあり、その場に適合した素直な表現は、ストレートに相手の胸に伝える力がある。わたしは函館っ子ではないが函館が故里だと思っている。郷土のことばをきたないとか田舎くさいといって話さない、使わないでどうするのか。東京語が函館で話せても、話しても、函館の雰囲気に合致するだろうか。そこに違和感があるだけではないか。
 われわれは、いつも進歩的でなければならない。しかし、ローカルカラーを卑下することはない。ローカルカラーも古いまま守るのではなく、その良さを活用できるように育成してゆけばよい。人のつながりは、ことばと心の伝達によって生れる。新しい函館を考えるとき、函館にふさわしい都市づくり、人づくりが望まれる。「函館らしさ」が商店の飾り、街並み、家づくり、娯楽の中から消え、画一化、システム化された函館に魅力が生れるだろうか。××商店街まつりと変らない港まつりから、市民のエネルギー爆発ができるまつりにするよう工夫することも新しい歴史的風土をつくることになる。われわれは貴会に期待する。ある建造物の保存運動から発した貴会は、どんな歴史的風土を守るつもりなのか、そして、どんな新しい歴史的風土をつくる活動をしていこうとするのか。いくつかの部会があると聞く。十分な「学び、知らせ、守ろう」運動をされていると思う。今、本会々員も貴会々員、貴会々員も本会会員になっている。これからは、団体の特徴を尊重しつつ、協力しあって総合的な風土を守り育ててほしい。

西部に息吹きを…

喫茶銀花店主 長谷川 正路

 八十年前に建てられた倉を改造し、喫茶店として、早くも三年たちました。さまざまな人々との出逢いが出来たのも、この店のある由と嬉しく思っております。七年前、函館の街に魅了された私は、京都からここ大町に移り住んだ訳ですが、ようやく旅行者の目で見ていた函館の、特に西部地域の、良いところ、悪いところ、好きな所、嫌いな所等を当事者の目で見れるようになってきたと思っております。そして、つくづく魅力ある街づくりというものは、行政サイドと市民運動と地域住民の自覚とが三位一体とならなければ、生れ得ないと実感しております。「動きがないと言われてきた、西部地域も市の観光計画にそって、公園計画や夢の島造り、舗道の整備、文化財保存計画等「守る会」の運動の力も加わって変化が見られるようになってきました。文化財的建物については、ただ単に保存して置物にしてしまうのでなく、積極的に利用出来、生きた建物として再生していく方法を取るべきだと思うのですが、現状を見るにつけ保存状態すらうまく行っておらず心淋しい限りです。大手内地資本の進出により、函館の街が変化しつつある今日この頃です。今後生活も多種多様に亘って便利にもなっていくと思われますが、よからざる面、例えばどこの街も皆同じというようなことが出てくるように思うのです。このような状況の中、私のところには、西部地域に住みたい、西部地域にあった店を出したいという方々がよくたずねてみえます。お話をうかがうと、皆さん西部に魅了された人々ばかりなのです。函館のすばらしい個性を残し、そして生かし、又、新しい魅力を引き出し、つくり出せるのは、もう西部地域だけなのではないでしょうか。昔から住んでいる人々、そしてここに魅了される人々、新しく住み着く人々が、愛着を持って、学び、知らせ、守ろうに加え、話し合い、積極的に創っていかなければならない時だと確信しております。街の老朽化は、もう待てない所に来ております。これから新築される方々に、街の環境に合った家造り、店造りを望む次第です。

注目の「街と建物―明治・大正・昭和」北海道地区報告会町づくりと近代の遺産~北海道に現存する古建築の報告会と港町シンポジウム~

<プログラム>

  1. 総括報告 「日本近代建築総覧」作成の経緯と意義
     東京大学生産技術研究所教授 村松 貞次郎
  2. 地区報告 北海道に現存する近代建築遺産
     1. (明治の建築を中心に)
      北海道大学工学部助教授 越野 武
     2. (大正·昭和戦前の建築を中心に)
      北海道工業大学工学部教授 遠藤 明久
  3. 提言および討論「港町:魅力の再構築を考える」
     司会 東京大学工学部教授 川上 秀光
    提言1. (活力ある魅力をー函館の明日を考える)
     函館大学商学部教授 大野 和雄
    提言2. (港町の景観的特徴とその生かし方)
     北海道大学工学部教授 足達 富士夫
    提言3. (臨港地区の保存と再開発一横浜の事例から)
     横浜市企画調整局計画課 国吉 直行
    提言4. (港湾行政の役割―その可能性と限界)
     国土庁計画・調整局計面官 川崎 芳一

☆注目の全国巡回「街と建物」の報告会

 近代建築史研究会(会長村松貞次郎)と財団法人トヨタ財団(理事長豊田英二)が主催する「街と建物―明治・大正・昭和」北海道地区報告会は、去る5月27日(火)午後13時20分より、函館市公会堂(旧函館区公会堂·重要文化財指定)で開催された。
 以下、報告会と引きつづき行われた「港町の魅力を考えるシンポジュウム」の模様を若干レポートしてみたい。

☆まず「日本近代建築総覧」を紹介

 待望久しかった「日本近代建築総覧」の作成の経緯と意義について、東京大学生産技術研究所教授の松村貞次郎氏が総括的に説明したのち、「街と建物―明治・大正・昭和にみられる北海道地区の報告会」に移った。
 報告会では、明治の建築を中心に、北海道大学工学部助教授の越野武氏が詳細に報告をし、つづいて、大正・昭和初期の建築を中心に、北海道工業大学教授の遠藤明久氏が簡明に報告し、各々スライド説明をまじえて、じっくり北海道に現存する近代建築を紹介した。

☆歴史的建造物の現在地保存が筋

 両氏の報告について質疑応答がなされた,その主なものとしては、「現存する歴史的建造物群、近代建築遺産を発祥の場所において守らなければならないものか、どうか…」の質問に対し、越野助教授は、「歴史的建造物は、その街の歴史的風土を物語る鏡である。これがなんらかの理由で移動することは歴史を変えることになりはしないか。やはり、現在地保存に徹するべきであろう。」又、「移転させうるに足る理由づけが問題であり、納得できるだけの理由がないことが多い。」との答えがあった。

☆提言および討論「港町;魅力の再構築を考える」

 引きつづき行なわれた、このシンボジウムは、東京大学工学部教授の川上秀光氏の司会で活発にはじめられた。提言及び討論参加者の順にその内容をあとずけしておく。

提言1. 活力ある魅力を―函館の明日を考える―

函館大学商学部教授 大野 和雄氏

 函館の港町としての魅力を再認識して、函館のもつ歴史的環境と風土の素晴らしさを生かしつつ、生活者志向の再開発を住民の理解と協力で推進すべきである。又、魅力ある街づくりのためには、ABCの原則がある。①アメニティー(快適性の追及)、②バランス(均衡ある発展計画の樹立)、③コスト(住民の原価意識の高揚)によって地方都市の魅力を創造していくためのD(デベロプメント)していくべきであることを強調した。
 つぎに、港町:はこだての今日から明日にむかっての活力の構成因子を6つあげ、注目された。すなわち、①光り、②緑、③水、④音、⑤語らい、⑥まつり である。とくに、ABCの原則プラス魅力ある「まつり」の創造で街全体を快性化させるべきである。又、西部地区の旧栈橋付近をポートプロムナードの形成と港町函館の新しい市民交流の場(コミュニティー·スクェア)の造成等々を提言してむすんだ。

提言2. 港町の景観的特徴とその生かし方

北海道大学工学部教授 足達 富士夫氏

 元町界限は、町なみが独特の個性をもった貴重な町のふんいきがあるばかりでなく、港町函館が形成された発祥の地として一様に感じとられている心のふるさとという意味をもっている。
 景観的な特徴としては、和洋混在の風物詩が形づくられ、同時に坂道と辻の景観は、さすがといわざるを得ない。
 元町を中心とする山の手一帯に、函館の歴史的風土を表現できる歴史的建造物、文化施設が集積している。山の手と下町の(沿岸)とが上手に組合わさっており、その周辺部の景観は山の手を見ても、海辺をみても素晴らしい。ただ、郷愁をおぼえるだけでなく、実際に何をどのように生かし町なみの特色を維持させるかを考えなければならない。
 又、港町の景観を生かすも殺すも住民と行政の活気にみちた環境づくりと問題意識の質の充実にあろう。コンセンサスが得られるような住民志向·市民志向の生かし方が大切であると提言してむすんだ。

提言3. 臨港地区の保存と再開発―横浜の事例から―

横浜市開発調整局 国吉 直行氏

 横浜、長崎、そして函館は、古くから開かれた港町として著名である。現在人口272万人を擁する横浜市は国際港としての位置づけから大型プロジェクトに積極的に取りくみ都市計画の組織づくりからはじめた。
 プロジェクトでは、港北ニュータウン、横浜港ベイ・ブリッジ計画、都心臨港部再開発計画、等々盛り沢山というところ。みなさまにお馴みなのが横浜スタジアムです。
 又、アーバン・デザインとしては、人間的都市空間の創造をテーマに、山手地区景観風致保全要綱をつくり国際文化管理都市づくりにあたっている。各々の自治体が個性的なアーバン・デザインで魅力ある港町をつくりだしていくべきであろうと提言してむすんだ。

提言4. 港湾行政の役割―その可能と限界―

国土庁計画調整局計画官 川崎 芳一氏

 港は国内外に開かれた生活文化の窓であり経済交流の窓といえる。
 港町の魅力は、絵になる町であり、歌になる町であり、船(臨港地区)から徒歩20分弱ほどで繁華街があり、住む人も訪ねてくる人も、船員にとっても上陸のたのしみが感じられる町をいうのである。港町である以上、つねに内航、外航の船舶が往来し、それによって物流、情流・商流、そして人間の交流が活澆な町づくりのポイントになっている。臨港部の快性化と都心部の整備拡充が必要である。長中期の港湾整備計画を立てることだ。
 行政も、こうした都市機能を発揮させるための諸施策を展開し、住民のニーズに応えるよう最大の努力をはらい国際的に開かれた窓としての港づくりをしていきたいと提言してむすんだ。
 そのあと、提言者とフロアの参会者との意見交換および質疑応答が熱っぽく往復した。なかでも、司会にあたっていた川上東京大学教授が、逆にフロアの方へ、「一体、戦後35年間に建築された建物の中で、函館では、これがあるという自信作はありませんが、いわゆる昭和現代を代表する建物に、どんな建物がありますか?」の質問には、これという答えがでなかった一幕が印象的であった。

〔:注 紙面の都合上、割愛した部分があります事を、おゆるし願いたいと思います。〕
≪まとめ 編集部≫
=∴協力 函館大学教授 大野 和雄氏=

部会だより シリーズ≪2≫ 函館の魅力ある建造物

副会長 川嶋 龍司

1 相馬商事株式会社

◆所在地 函館市大町9-23
◆建築年 大正5年
◆構造  木造二階建

 明治30年代は函館の政治、経済の中心は、基坂を中心として大町付近に移った。そこで弁天町にあった相馬商事も旧大町22番地、平塚時蔵の店舗を買って移り、漁業の「仕込」、海陸物産、土地投資、金融業として益々事業は繁栄した。明治40年の、東川町からの大火は、8997戸余の大火となり、大町商舗、元町自宅も類焼したが、羅災後仮店舗を建築し営業を開始、明治43年から大正5年まで仮店舗を順次解体して約6年有余の年月をかけて建築したものです。設計は相馬家出入大工の筒井与三郎で古典建築様式に整えられた建物である。この建築は、設計施行共入念で、明治後期から大正初期にかけ函館における洋風建築水準を高めた建築である。明治中期から大正初期にかけて大工棟領により、明治期洋風建築が培われた。洋風建築の伝統である、玄関及び1階2階の窓が残されている。木造洋風商店建築として魅力ある建築であると共に国指定有形文化財として指定すべき建築である。

2 大町郵便局

◆所在地 函館市大町1-30
◆建築年 明治44年
◆構造  木造二階建

 この建物は明治44年建築の木造洋風事務所建築です。当時正面中央に間口6尺奥行4尺の吹放ポーチが設けられていた。上下をバルコニーとしていたが現在は撤去され、大屋根に棟飾りが設けられた痕跡をとどめている。当時郵便受取所として、大町、弁天町、鶴岡町、西川町、若松町、春日町、旭町、亀田など8ヶ所設けられたが現在この建築のみ残っている。明治40年代には、これらが政治、経済機関の建物の中にあり、情報機関の役目をはたした。当郵便局だけが今なお利用されている。明治洋風建築の1つであり、貴重な洋風建造物である。

《トヨタ財団全国巡回地区大会盛岡市開催より》盛岡大会で感じたこと

顧問 近藤 元

 5月27日の函館大会からちょうど2カ月、盛岡での地区大会には是非出かけたいと思っていました。〆切り直前に佐々木さんに電話して申込んだのですが、参加者は私を加えて「7人なんですよ」と聞いて意外でした。函館の大会があんなに盛会だったので、盛岡へは大挙して出かけるのではと思っていたものですから―。
 盛岡に着いたのは26日早朝、駅前通りはまだ人影も疎らでした。馬市の柵が並んでいて、鄙びた町並みだったな―そんな思い出などどこにも残っていないのです。清掃がよく行き届いて小ぎれいな近代的な地方都市なのです。それもそのはず、私の思い出は40年も前のことでした。
 二日滞在して、市で用意してくれたバスで一巡したり、宿の窓や散歩から眺めた町並みは、期待以上の素晴らしさでした。ゆっくり流れる北上川と支流の中津川、護岸工事もないなだらかな、草の生えている岸辺のそこここに柳が枝をひろげている、啄木のうたがそのまま残っているようなのです。岸辺に腰をおろして釣糸を垂れる人がいる、川の中程に立って釣る人もいる、朝も昼もタ方にも見えます。橋を通る人がそれを見ている、その橋の欄干には黒ずんだ江戸時代の銘のある擬宝珠がついている。日中は流石人通りが絶えませんが、これが25万都市の盛岡のど真ん中のことですから、私たちは驚きと羨やみの溜息をつくばかりでした。
 これは町並みや歴史的建造物を巡ったときも同じでした。市の条例で指定された建造物14、それ以外の歴史的な重要建造物11を案内していただいたのですが、その保存の良さと新しい町並みとの調和は見事です。
 昭和のはじめの頃のタイル張りの洋風建築は他都市にも見られる懐かしいものの一つですが、大正や明治の頃のものも保存され使われています。八幡町番屋は明治に建てられたもの。結屋町番屋は大正2年に改築されたものというのですが、何れも現在消防団で使っています。木造二階建の上に火の見櫓が高く突き出ている、札幌の時計台を高くしたような、懐かしい形です。旧石井県令私邸は明治19年に建てた煉瓦に漆塗の三階建洋館ですが現在看護学校に使っています。94年経っているがしっかりしていて、小ゆるぎもしないと説明にあります。北ヨーロッパの建物をそっくり持って来たような外観でアーチ型の窓や入口で屋根には2カ所のドーマー窓(屋根裏部屋の明りとり窓)など、これも又懐かしさがいっぱいで盛岡名物です。明治43年の旧第九十銀行、44年の旧盛岡銀行、45年の旧盛岡高等農林等どれもよく保存され現在も使われています。それが新しい町並みの中でよく調和している、ここでも私たちは溜息でした。
 市内に、珍らしい町名が沢山あります。内丸、日影門外小路、鉈屋町、餌差小路などまだまだありますが、それぞれいわれのある古い町名なそうで、それを市で町名由来記という立派な小冊子にまとめています。町にはいわれを書いた標識を建てていました。古くからの名物「豆銀糖」や「からめ餅」が店先に並んでいます。残っているのは自然や建造物ばかりではないのです。
 盛岡には歴史が残っています。そして今も生きています。それが新しい盛岡のよさをつくり出しています。古いものが残っているのは残す人たちがいるからでしょう。そして生かしかたを考えているからこそ生きているのでしょう。盛岡の美しさやよさは盛岡の人の心の美しさや考えのよさのあらわれですが、それは又いつか人びとのくらしや心にはね返って来るでしょう。豊かな町づくりは常に人づくりとからみ合っているものです。
 大会は「建築遺産と自治体行政」というテーマでしたが、総括報告と地区報告のあとが討論で、いろいろ勉強になりました。環境保全条例について盛岡市市民部長の報告説明があったあと、条例の適用を受けた立場から旧石井県令私邸の所有者の遠山さん、調査研究者としての福井さん、自治体行政の体験から田村さんの三人の意見発表がありました。その中からいくつか―。
 条例の適用を受けると保全のための費用を補助されるが、決まった予算ではやり難い。大補修で予算不足のこともあるし、全く不要な年もある。だから予算は何年か分をプールするなどの弾力性がほしい。崩壊してから復元するよりも保存に力を入れることの方がらくなんだからという意見は、早く条例を定めた盛岡でさえもまだこんなお役所しごとの問題があるのかと意外でした。
 条例を適用する場合、所有者が地元出身者だと指定し易いが、所有者が変ったり地元以外の者だったりするとやり難くなるのではという意見もありました。これはしかし人によりけりではなかろうか―。
 うまくいっている横浜からの意見は、行政は市民の支持があってこそ動き易いということを強調していました。しかし行政の実態は果たしてそうなんだろうか。上役や首長の考えが市民の声に優先することがないだろうか。そんな疑問をもちながら、もっと具体的な「おらが町づくり」の方法論まで話合いできたらと残念でした。
 わが函館にも環境保護条例がほしい。豊かなまちづくりに本腰を入れる姿勢は、先ず条例の制定からです。

盛岡市における環境保全制度の背景と条例の一部紹介

 盛岡は慶長3年南部氏26代信直が北上川流域 不来方(こずかた)に城を築き、これを盛(さか)る岡(おか) 即ち盛岡と称したことによる。みちのくの小京都と言われ、自然と歴史が静かに息ずく街である。盛岡市は快適な市民生活とは何にか…望ましい都市環境はどの様に保全されなければならないかの命題のもとに自然環境及び歴史的環境保全条例を制定した都市です。近代建築報告会が盛岡市で開かれた事は故なしとしない。以下、当市の環境保全制度のごく一部を紹介します。

【歴史的環境保全の背景】盛岡市環境保全課51年制定―前略― 盛岡は四季に移り変わる美しい自然 市内を貫流する河川のうるおい澄み切った大気など豊かな自然環境と数百年の長い歴史と伝統に育くまれた情緒ある街のたたずまいがとけあい他都市に見られない固有な都市環境を形成してきた。しかしながら都市への人口集中化現象は本市にも押し寄せ『勝れた自然環境の中に物心共に豊かな地域社会の建設』を、市勢発展の究極の目標とする当市は昭和46年12月に、盛岡市自然環境保全条例を制定し、緑豊かな生活環境を保全し創出するために各種の施策を行ってきた。今般いよいよ高速度時代の幕開けを目前にし美しい自然環境と共に盛岡の良好な環境の要素としての歴史的環境をも保全すべく条例を改正した。新幹線沿線都市が急激に都市化して行く中で先人の築いた遺産を正しく後世に伝えつつ安らぎと潤いのある街を作り出していく事は現代の盛岡市民に課せられた大きな課題である。

【盛岡市自然環境及び歴史的環境保全条例】<抜粋>
第2条 市は自然環境及び歴史的環境(以下自然環境等という)の保全に関する総合的な施策を策定し、及びこれを実施する責務を有する。 ―市の責務―
第4条 住民は自然環境等の保全に関する認識を深め市の自然環境等の保全に関する施策に協力すると共に動植物を愛護し進んで植裁を行い、歴史的建造物を大切にする等自然環境等の保全に努めるものとする。
第6条 市長は自然環境等の保全に関する知識の普及有び思想の高揚を図ると共に、自然環境等の保全に協力する団体の育成 その他自然環境等の保全に関する住民の自主的活動の助長に努めなければならない。
=感想=字数制限で補助金制度や審議会の役割等を割愛します。条例の性格は届出制で協力要請型です。規制がりないため鞭がなく飴だけの評もあるが、開発の夢末だ醒めやらめ46年に条例をした盛岡市と之を支えた市民の英知と熱意、努力に敬意を表したい。(文責 田尻)

歴史の散歩 シリーズ≪7≫ 土蔵と人情と函館と…

岩垂 亨

むかし西部方面でよく見かけた土蔵のある家も近ごろすっかり少なくなったので、肌寒い日だったが出掛けました。描きはじめたころ八十才くらいのお婆さんが出てきて
 この前の地震で屋根がいたんで雨洩りがひどいとか息子が一、二年のうちに停年になるので、そしたら建て直しすることになっている
などと問わずがたりに話してくれました
 半分ほど描いたころ近くに車がとまり”車を…”と声をかけられました。氣がついたら車は車庫の前にいたのです。四十がらみのその人は傍に腰をおろし絵を描けるなんて羨ましいとかそのうちに個展でも開くんですか、この家は○○さんの家でお婆ちゃんが一人で住んでいるなど小一時間話してから、寒くなったら私の家で一服してくださいと名詞をくれて腰をあげました
土蔵のある街筋にはまだ昔の人情がほのぼのと流れていました <元函館水産試験場長>

函館の歴史的風土を守る会組織

 この度の第3回定期総会開催により、会則第4条による組織及び機構改革が成された。以下はその紹介である。

◇顧問   須藤 隆仙、真崎 宗次、近藤 元
◇会長   今田 光夫
◇副会長  和泉 雄三、川嶋 龍司、大河内 憲司、田尻 聡子
◇監事   鷲見 幸一、佐々木 税
◇運営委員 会田 金吾、浅野 武次、網代 房枝、大野 和雄、大森 好男、
(五十音順)岡田 溪子、奥平 忠志、落合 治彦、工藤 光雄、佐々木 正子、
      佐渡谷 安津夫、下川 寿美惠、高坂 柳好、高瀬 則彦、高橋 順一、
      武内 収太、多田 満彦、田中 雪子、永野 弥三雄、西野 鷹志、
      浜田 昌夫、藤田 郁、三根 誠、宮林 繁雄、渡辺 靖夫

◇研究活動部会
 従来通りの研究を続けると同時に各々の専門担当を決めた。
◇部会長 今田 光夫
     奥平 忠志(町並み保存条例原案担当) 大野和雄(文化財再生活用担当)
     大森 好男(学習会担当) 川嶋 龍司(函館の魅力ある建造物担当)
     和泉 雄三、落合 治彦、高瀬 則彦、会田 金吾、永野 弥三雄

◇普及活動部会(情宣・広報部会)
 広報及び会報関係は、これ迄の事務局を離れて情宣を新たに加えた形で以後動く事になる。
◇部会長 三根 誠(情宣担当)
     田中 雪子(広報·会報担当) 多田 満彦、岡田 渓子、佐渡谷 安津夫
     田尻 聡子

◇企画部会
 今年度より新たな企画として登場。
 すべての事業の計画は、この部会を通してプランニングされる。
◇部会長 大河内 憲司
     宮林 繁雄、高坂 柳好、西野 鷹志、渡辺 靖夫、武内 収太、高橋 順一

◇事務局
 従来通り事務にかかわる一切の業務を取り行う。
◇局長 工藤 光雄
    浅野 武次(次長) 浜田 昌夫(次長)  網代 房枝(庶務)
    下川 寿美恵(庶務) 佐々木 正子(会計) 藤田 郁(会計)

会のあゆみ <55.5.11~9.23>

  5.11 第3回全国町並ゼミ函館集会。
     ”街と建物―明治―大正―昭和”全国巡回北海道地区報告会の案内
  5.22 第10回運営委員会   編集会議
  5.24~26 第3回全国町並ゼミに当会から9名参加
  5.26 全国巡回北海道地区報告会について最終打合せ
  5.〃 全国町並ゼミ函館集会参加者小樽から90名函館に到着。
     本会より歓迎の挨拶と集会の打合せ
  5.27 全国町並ゼミ函館集会
  5.〃 街と建物明治―大正―昭和巡回北海道地区報告会
  5.31 第11回運営委員会   編集会議
  6. 7 55年度、第3回定期総会開催(於市民プール)
  6.15 第15回運営委員会   編集会議
  6.28 昭和55年度総会結果について会員宛発送(会報)
  7. 8 第13回運営委員会   編集会議
  7.26 ”街と建物明治―大正―昭和”
     巡回東北地区報告会に今田会長を始め7名出席(開催地盛岡市)
  8. 5 第14回運営委員会   編集会議
  8. 9 ”町づくりを考える会”に参加。主催中小企業家同友会
  8.19 第15回運営委員会   編集会議
  9.22 第16回臨時運営委員会   編集会議
  9.23 第1回ふるさと写生野外展開催
  9. 1 会報特集号(7号)発行

事務局だより

★小樽市で開催の第3回全国町並ゼミに会から9人が参加各地からの報告に”函館の現況と今後の課題”と題し大河内憲司氏が報告されました。(5月25日)
・第3回全国町並ゼミ函館集会と”街と建物―明治―大正―昭和北海道地区報告会”が公会堂で開催されました。今までにない盛会を収めたことにゼミ関係者近代建築史研究会トヨタ財団が感謝しておりました。当地区として始めての行事でありましたが大きな成果を挙げましたことを会員の皆様と共に喜びたいと思います。北海道建築士会、函館西部生活学校の御協力に感謝します。
★55年度第3回定期総会も無事終り新年度の事業を進めるため運営委員の方々にそれぞれの部門を担当していただくことになり新たに企画部を設けて事業を進めていくことになりました。宣しく御協力の程を。
★”函館の建築物のカワラ版”の作製をする準備を進めております。近く会員の手許にアンケート用紙をお送りしますので御協力をお願いいたします。(11月完成予定)
★第1回”ふるさと写生野外展”を9月23日開催しました。晴天の秋の1日、参小中学生230人が元町周辺の街並を写生、予想以上の成功でした。指導に当たられた諸先生に深謝します。
★会費末納の方は至急振込又は事務局迄払込願います。

へんしゅうこうき

★今号の会報ナンバーは8号です。7号は9/1付で既に送付済の「町並みゼミ特集号」で。今後特集号のみ併せて通貫ナンバーで取り扱いますので御了承下さい。
★広報・会報関係が事務局から離れ普及部の中に独立した。情宣も含め活動範囲がぐっと広くなった。普及部が窓口で会員拡大にも奔走せねばならない。ここで会員諸氏にお願いですが、あなたの身近かな方々を会員にお誘い下さい。又周囲で入会希望の方が居りましたら遠慮なく申し出て下さい。更に本会の種々催し事には是非お友達·ご家族·知り合いの方々をお誘いの上参加下されば幸いです。ご協力を……。
 なお入会申込は①事務局(五稜郭タワー内)工藤事務局長(電話)。又普及部窓口の為②田中雪子運営委員宅(毎日午前中に限る)(電話)。③田尻聡子副会長宅(電話)その他三役運営委員宅も結構です。御一報下さるといつどこへでも、参上します。申込の際個人加入・団体加入いずれでも結構です。よろしく……。
★紙面の体裁が大方タイプ印刷に変りました。予算の関係上已むを得ずの事ですご了承願います。
★去る9/23秋日和に恵まれた一日”第1回写生野外展”が成功裡に終了した。歴史的建造物を見つめ乍ら其々眩しいほどの白い画用紙に向かって絵筆を振るう真剣そのものの子供達を目の当りにし、これぞ正しくおらがまちの風土を「美しいものは美しい」と感じる感性と先人の顕彰精神を養う大切な場面ではないかと…。ふと、次代への秘やかな安堵感に浸った。<田中>

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