会報No.1(昭和53年7月8日)

会報No.1(昭和53年7月8日) 会報
会報No.1(昭和53年7月8日)

創刊によせて

函館の歴史的風土を守る会 会長 今田 光夫

 「風土とは気候と水土のありさまをいう。原始社会では、その地の風土に支配された、閉鎖的な社会が営まれていたであろう。それがやがて、外辺との交流が深まるにつれて、社会的な、また文化的な刺戟を受けて歴史的な変化を生じ、地域ごとに特徴的な「地域風土」を形成するようになったのであろう。従って本会設立の目的である「函館の歴史的遺産」を守るためには「函館の歴史的風土形成の過程」を研究することが必要となる。歴史的遺産である文化財を歴史の流れの中に位置付けることは、文化財の評価を確かにし、次の世代に引継ぐ根拠となる。文化財は、その地にあるのがもっともあさわしいだろう。とはいえ、その歴史的価値を確かめ得る程の研究組織と保存の熱意があってこその話で、そのまま放置され,やがて都市化の波の下に埋没されてしまうのでは意味がない。
 然し、現実は、この「歴史的価値」が都市化の波の下に埋没されつゝあるのが実状ではないだろうか? それを防ぐためには、市民の一人一人が、函館のこの歴史的風土の内容とその価値とを学び、お互いに知らせ合い、共に守る決意を、自主的に固めること、つまり、市民運動として定着させることが必要であろう。本会が緊急に取上げようとしている、例えば、函館の西部街並みの保存(公会堂や旧渡島支庁々舎等を含めた)の問題なども、函館の歴史的景観の保存を目指す行動の一つである。
 互いに手を取りあって、函館の歴史的風土を学びあい、知らせあい、守るべきものを守って行きたいと考える。この市民運動は我々の子孫に受けつがるべきものであろう。

会長略歴

  • 明治42年札幌市生れ
  • 昭和7年北大水産専門部漁労科卒 民間企業・水産研究所を経て
  • 昭和39年文部省に出向・北海道大学教授
  • 昭和48年同大退官
  • 現在水産学博士

お祝いのことば

函館市教育委員長 四倉 太郎

 函館は、自然に恵れた街である。「月山」で芥川賞を受けた森敦氏は、私に「函館山も月山と同じく臥牛山という」と色紙を書いてくださった山であり、「函館の女」「津軽海峡冬景色」に歌われる海があり、井上靖氏が、「私の好きな風景、雲生れる街函館」の文の中で「函館は、また雲が美しく見える街である。」と書かれた雲もあり、気候についても世界のほとんど旅した人がいっていた、「函館くらい四季の配分のいい街は世界のどこにもない、と。井上靖氏は、だから「函館の街は、日本で一番その全景の美しい街である」と。人情もいい。
 しかし、神 仏ならぬ人の住むところ、一層お互いの努力が期待されよう。本会が函館市民憲章の趣旨に沿って活動されることを期待して、お祝いのことばとしたい。

風土が人間をつくる

函館市文化団体協議会 会長 中島 荘牛

 風土が魂をつくり、人間をつくる。青森のねぶた祭が少年棟方志功の後日大成の芽を生んだ。南国柳川の水と土の香が北原白秋の詩心を醸し、坂本繁二郎·青木潔を生んだ。柳川・倉敷と並び函館は日本の魅力ある五都市の一つであるという。鈴蘭香る北の古都函館は幕府終焉の五稜郭戦争と我国世界貿易幕開けの港とを併せ持つ。進取の気象に富むすぐれた先達が過去の栄光をここに築いてくれた。歴史を刻むこの風土が、時移り人変わり、北洋漁業の落日とともにいつしかその面影を失い、個性も失いつつある。こんなとき「歴史的風土を守る会」の誕生に心から拍手をおくるとともに、この街の少年の魂をゆさぶり心を築くに足る風物詩や文化的風土を共に手をとり築き上げたいものである。

本会創立までの経過

副会長 和泉 雄二

1 発端
 昭和52年の秋、函館市の文化財保護委員会は、函館市西部の中心、函館の行政官庁の発祥の地にある旧渡島支庁の建物を、札幌へ移すことを決定した。委員会内部でも苦しみ、なやんだ末の結論と聞くが、実は、これが、そもそも、本会発足の契機下あった。
 まず直ちに田尻聡子氏(本会副会長)が 移転反対の投書を道新に寄せて一石を投じた。それから間もなく、函館在住の著名な画家橋本三郎氏(本会副会長)を中心とする移転反対の署名運動、募金運動が行われた。問題を重視した函館圏都市問題研究会(代表理事·和泉雌三、神田弘、同人組織の都市問題研究の学者研究者グループ)が、公開シンポジウムでこれを取り上げた。シンポジウムは、移転をめぐって賛成、反対の討論を行うことが目的だった。田尻聡子、川嶋竜司(市文化財委員)三根誠(函大助教授)大総一郎(会社社長) 吉田市社会教育部長の五氏が報告者で正に白熱的議論が斗わせられた。私は、これを司会したが、つくづく市の遺跡、文化財関係への知識の乏しさを痛感すると共に、この函館の文化遺産を守るべき市民意識の低さを感じた。文化遺産を守るには、多くの市民の自発的行動を呼び起こすことが先ず必要であると考えた。参加した人々も同感であったと推察する。
2 準備委員会発足
 旧渡島支庁舎だけが問題でないのであって、外にもまだ知られざる文化財、遺物、さては、古老の記憶、風俗なども、問題であった。そこで、広く函館の歴史的風土を、学び、知らせ、かつ、これを守るという三つをモットーに、53年2月、準備委員会(委員長·近藤元、函大教授、道教育大名誉教授、副委員長·和泉雄
三、田尻聡子)が発足した。「歴史的風土を守る会」と命名したのは、近藤教授である。まず、発起人会が作られた。
 この時は、私と田尻氏 が代表で、当時、「函館市の遺跡と文化遺産を守る会」と仮に呼んでいたのである。52年12月のことである。それから、何回かの世話人会が持たれ53年3月18日市商工会議所議員室で正式に設立準備委員会が開かれた。当日、趣意書、会則(原案 三根誠担当)等の検討をした。会の基本姿勢にかかわる事柄に議論百出であったが、問題は市民運動と言う会の趣旨を生かしながら如何にして会の恒久化を図るかということであった。4月22日、念願の設立総会をむかえるに至った。

会のあゆみ(昭和53年4月22日~7月1日)

4.22 創立総会(受付会員数97名)
   「函館の歴史的風土を守る会」発足
   会則・役員・事業計画・予算決定
   創立記念講演
    講師 須藤 隆仙氏
    演題 「函館の歴史的風土を語る」
4.28 役員・運営委員・事務局員委嘱
5.10 三役会議
    運営委員会への提案議題の審議
5.13 第1回運営委員会
    (1) 事業計画について
    (2) 事業費の補正及び科目設定
    (3) 部会の設置(運営委員の任務分担)
    (4) 事務局組織について
6.2  事務局会議
    (1) 会報(創刊号)企画
    (2) 懇話会の計画
6.3  第1回研究活動部会々議
    (1) 正·副部会長選出
    (2) 本年度研究活動方針について
     (函館の歴史的風土の形成過程研究次第)
6.3  事務局会議
    事務局員任務分担の確認
6.6  第1回会報編集会議
    会報創刊号内容検討
6.8  第2回会報編集会議
    会報創刊号紙面割付け
6.24 第1回普及活動部会々議
    (1) 正・副部会長選出
    (2) 本年度普及活動方針について
     ・旧渡島支庁々舎問題への対処
     ・歴史的風土とは、それを守るとは
    (3) 小サークル学習会の手だて
    (4) 会員へのアンケートの内容について
6.26 第3回会報編集会議
6.28 第4回会報編集会議
6.30 第5回会報編集会議
7.1  第2回運営委員会(出席者少数のため懇談会)
    (1) 旧渡島支庁々舎問題特別委員会設置について
    (2) 懇話会開催の細部打合わせ
7.1  現在会員数 168名

創立総会開かる

 旧渡島支庁々舎問題’に端を発し「函館の歴史的街並みを見直そう・保存しよう」という声の高まりの中から四月二十二日五島軒本店で函館の歴史的風土を守る会の創立総会が九十七名の受付会員の集まりをもって開かれた。準備委員長近藤元先生の挨拶に始まり中島荘牛先生、四倉太郎教育委員長の祝辞更に全国歴史的風土保存連盟等から祝電が寄せられ、この会への期待と関心の強さが改めて感じられた。引き続き議事に入り三根誠先生から会則の提案説明で‘市民運動としての性格’活動の三本柱―学び合う・知らせ合う・守る’が強調された。又会員の中から「市民運動として政党色抜きで会を運営する事を是非守ってほしい」「大人だけでなく未来の担い手である子供達をどのように運動に参加させたらよいのか」「旧渡島支庁々舎問題を早急に検討してほしい」など熱心な意見が出された。役員選に当り選考委員から今田光夫初代会長、鷲見幸一、佐々木税両監事が推され万場一致で承認された。副会長四名運営委員二十二名事務局長が今田会長より委嘱された。工藤光雄事務局長から五十三年度事業計画·予算が提案され函館の文化財、史跡の調査、保存、学習会、研究会による啓蒙、保存に関する関係機関への要請活動、機関紙の発行等を行なうことが可決された。
 その後郷土史家須藤隆仙氏による「函館の歴史的風土を語る」と題して講演に入った。(ママ)
 その後郷土史家須藤隆仙氏による「函館の歴史的風土を語る」と題して講演に入った。その概要に触れてみると、函館の歴史は短時間で語り尽せない歴史の古さ、文化の深さ、更に自然を含めた豊かな土壌がある。「新羅之記録」称名寺の板碑にみる和人の繁栄の歴史。そして幕末に幕府直轄を受け箱館奉行所へとエゾ地の政治が移りペリーの来航、やがて日本三大開港場の一つになる。逸早く西洋文化が導入され日本近代化に多大な影響を与え天下に俊才を輩出した洋術学校諸調所がある。更に日本初の出貿易へとその殷賑を窮め、箱館戦争終結は新生日本誕生の夜明けとなった。又明治の度重なる大火の復興にみる先人の偉業とそれらを称して「歴史上にみる函館は何とも気味の悪い位恐ろしい所ですよ」と語っている。過去に訪れた内外人の紀行文には、函館は十九世紀の欧州の匂いがする。それはまさしく街全体から醸し出される歴史の重さ文化の深さそのものだと…。亀井文学を今日有らしめたのも函館の風土そのものに他ならない。陶 淵明の帰去来の一節より「今日を是となし昨日の非なるを悟る…」と問いかけられ結びとされた。

全国のなかまより

 このたび、北海道で、日本歴史に最も由緒深い函館の市民有志の皆様が、その貴重な歴史的風土を無謀の開発から守るため、立ちあがられたことに対し、私達は強い感激と心強さを感じました。
 私達は、それぞれの地域住民がその独特の歴史的風土を守る意志と行動をもって結ばれ、更に、その結びが全国的に結ばれることは、この国を、その当面している末期的症状から救う基本的ちからになると、信じているものであります。遥かに、今后のご努力と、ご発展を期待して本日の祝辞にかえさせていただきます。
―全国歷史的風土保存連盟―
  代表 原 実(鎌倉市)

 創立総会おめでとうございます。これからの御発展をお祈りします。
―東京都北海道人会―
     ―電文より―

函館の歴史的風土を守る会組織(昭和53年7月1日現在)

(研)研究活動部会担当 (普)普及活動部会担当 (事)事務局担当
総会
 <役員>会長 今田 光夫(研)
     副会長 橋本 三郎(普)、若山 徳次郎(普)
         和泉 雄三(普)、田尻 聡子(事)
     監事 鷲見 幸一、佐々木 税
 <事務局> 事務局長 工藤 光雄
       次長 浅野 武次(研)、田中 雪子(普)
       庶務 下川 寿美恵、藤田 郁、網代 房江
       会計 佐々木 正子
       広報 田中 雪子、多田 満彦
運営委員会
 大森 好男(研)・鮫川 裕司(研)・東郷 征二(研)・武内 収太(研)・川嶋 竜司(研)・須藤 隆仙(研)
 真崎 宗次(研)・近藤 元(普)・大野 和雄(普)・三根 誠(普)・渡辺 靖夫(普)・渡辺 博(普)
 高橋 順一(普)・佐渡谷 安津雄(普)・本間 竹松(普)・四倉 太郎・工藤 光雄(事)・浅野 武次(事)(研)
 田中 雪子(事)(普)・多田 満彦(事)・下川 寿美恵(事)・藤田 郁(事)・網代 房江(事)・佐々木 正子(事)
部会・特別委員会
 ・研究活動部会 部会長 須藤 隆仙 副部会長 鮫川 裕司
 ・普及活動部会 部会長 和泉 雄三 副部会長 高橋 順一
 ・旧渡島支庁々舎問題特別委員会(予定)
小サークル

昭和53年度事業計画

 創立総会において、会の事業の骨子が決定されたが、続いて第一回運営委員会において、昭和53年度の具体的な事業計画が検討された。
1.調査研究(研究活動部会)
 ・函館の歴史的風土の形成過程の研究を行なう。
 ・当面の問題として、旧渡島支庁々舎について調査・研究し、保存価値の評価をする。
 (1) 指定文化財のリストアップ。
 (2) 未指定文化財のリストアップとその価値の評価。
 (3) 保全すべき町並みの内容確定。
2.学習会、公開シンポジウム等の開催(普及活動部会)
 ・学び、知る活動を通して会員の拡大を計り、さらに、市民と共に函館の歴史的風土を守る活動を行なう。
 (1) 函館の歴史的風土とは何か―公開研究会
 (2) 小サークルの学習会
  ・テーマ(または、分野)別の学習会
  ・会員の希望による学習会(アンケートをとる)
 (3) 西部町並み保全に関する公開シンポジウム
 (4) 会員拡大に関すること
3.会の円滑な運営を計ること(事務局)
 (1) 会員数の把握・会計・連絡渉外等の事務
 (2) 会報の発行(年4回予定)
4.懇話会の開催(7月8日)
5.全国レベルの組織への参加
6.その他、必要な事業について運営委員会で話し合う。

歴史の散歩 シリーズ1 ~旧渡島支庁々舎~

須藤 隆仙

 この地がハコダテという名の発祥の場所であることも、松前藩亀田番所・幕府箱館奉行所・開拓使本庁と江戸時代から一貫して北方行政の頭脳部であり、またそれが札幌へ移動してからは、開拓使函館支庁・函館県庁・道函館支庁・渡島支
庁として、道南行政の心臓部となっていたことも、今では知り尽されているのだから、私としてはいろいろとは何もない。
 ただ地図を調べて有名な北大の堀淳一教授が講談社刊『日本の古地図』(7)に「函館散歩」を書いているが、盛んに、海難審判所の建物が公会堂より古く、奉行所に縁が近そうで、はるかに風情があったと書いている。これは旧渡島支庁庁舎を海難審判所の建物と感違いしているわけだが、とにかく、この旧庁舎がこのように旅の人々の心を惹きつけているのだ。ということだけを紹介しておく。

研究活動部会だより

大森 好男

 「燈台もと暗し」ということわざがあるように、函館市民の多くは、函館のすばらしい風土やすぐれた価値をあまり認識していないのではないだろうか。人はだれでも、そこに長く住んでいると、その土地のことが見失いがちになる。函館に縁もゆかりもない人から、函館の良さを指摘されて、はじめてそれに気付くことの方が多いのではないだろうか。函館は歴史的遺産が多いというだけではなく、かつて石川啄木が、「死ぬときは函館で死にたい」といっていたように、ここには人びとの心に安らぎを与えてくれる何かがあります。
 われわれは、函館市民の一人として、今ここに函館のもつ良さや価値を学び、それを広く函館市民全体に知らせ、そして市民全体の力でそれを守っていくための第一歩を踏み出そうとしているのです。しかしこれは、口でいうほど簡単なものではないと思います。まず何よりもこの函館の街や風土を、みんなで見直すことからはじめなければなりません。研究活動部会の仕事はここから手をつけていくことになりました。
 第1回研究活動部会の概要をお知らせします。
  日時 昭和53年6月3日(土)午後2時より
  場所 五稜郭タワー2階和室
  出席者 今田光夫、大森好男、武内収太、川嶋竜司、和泉雄三、田尻聡子、工藤光雄、浅野武司
 1 正副部長の選出について
部長に須藤隆仙、副部長に鮫川裕司の両氏を選出する。
 2 基本方針の策定について
初年度の事業は、まず何よりも「函館の歴史的風土の形成過程」について研究を進めることとし、その当面の作業として、次の三点をとりあげてみる。
 (1) 指定文化財のリストアップ
 これについては、道や市の「地方自治体指定文化財委員会」の審議を終えているものであるから、それを文書写真等によって確認することである。
 (2) 未指定文化財のリストアップと、その価値の評価
 未指定物の文化的評価を広く市民にアッピールする必要がある。そしてそれが指定文化財になるか否かにかかわりなく、より多くそれをとりあげ、その存在を市民に知ってもらうことである。
 (3) 保存すべき町並みの内容確認
 函館の街を構成している山と海、それを結ぶ坂道などを考えてみる。具体的な例として、「仲浜、西浜の倉庫群」、「教会を中心とした家並み」、「宝来町の古い家並み」などがあげられる。
 以上三点の作業を進めるとともに、「函館の歴史的風土の形成過程」について、いろいろな角度から基調となる研究発表会を開き、広く市民にアッピールすることにした。そのテーマおよび発表予定者は次のとおり。
 (1) 函館の地域的特性 大森好男(中部高)
 (2) 考古学的立場からみた函館 原田 豊(中部高)
 (3) 松前藩制下における箱館 浅利政俊(中島小)
 (4) 幕府の直轄統治と箱館 鮫川裕司(女子商)
 (5) 明治維新前後の箱館 武内収太(五稜郭タワー)
 (6) 明治~現代(小サークルの学習活動によってきめる)
  (例)建築史 川嶋竜司・漁業史 今田光夫
 なお、この発表会は明年1月ころ開催の予定である。
3 その他
 ・部会は月1回程度開くようにしたい。
 ・部会では、それぞれの研究、または作業の進行状況を、中間報告として発表してもらうことを考慮する。

やませ 私の元町

北川 正昭

 私は、元町界隈のあの建物、町並み、そしてそこに漂う空気の味が好きだ。
 函館の顔としての建物は数多くあるけれど、私に言わせれば歴史的重要建築物よりも、忘れさられている民家の、あの窓や玄関、そしてひさしなどに愛着を感じる。これはそこに住み、生活を営む人人の息づかいがあるからだと思う。
 雨垂れの跡がしみとなってついている屋根、軒下のたんぽば、洗濯物が風にゆらいでいたり、もうとてもうれしくなる。
 できるなら、あの西部地区をこのままそっとしておいてほしい。そこに住んでいる人の心意気がこれからも残ってほしいと思うし、その土壌をこわさないでほしい。私がこの会に入会したのは、ある意味で、よそ者的感覚かもしれない。
 この会報が出る頃は、札幌に移っている。けれど、私にとっての元町は、私の心にどっかりと根を下ろしつつあるのだ。
 もう、いくら忘れようとしても、手遅れなのだ。私は最近、人間の生きざまに惚れ、いろいろな人、空気に出逢ってみたい。私の過ごした二年間は十年分にも等しい。足を運ぶごとに表情が変って見え、新しい発見をする。それほど私は、この函館に魅力を感じているのです。
 これからも海を見にくるつもりです。

普及活動部会だより 「歴史的風土を守る」とはどんなことか

近藤 元

 私たちの会の名である「歴史的風土」ということばは41年に公布された「古都における歴史的風土の保存に関する特別措置法」からとったものです。この法では、歴史的風土とは「歴史的建造物や遺跡などと一体になった自然環境」と定義していますので、内容としては大へん広く、従っていろいろと関連する問題が多くなりますし、関係機関と連けいし協力することが大事なことになるわけです。
 風土保存は世界的傾向です。フランスでは65年も前から法律で定めておりますが、わが国では41年に古都法、50年に文化財保護法施行規則が制定されました。これには、高度成長時代の乱開発から風土を守ろうと努力した多くの地域の人びと、中でも鎌倉、奈良、京都、木曽などでの民間運動が大きな役割を果たしました。
 私たちも「守る会」の運動を通して、わが愛する函館の歴史的風土を保全しようとしているのですが、そのために学んだり考えたりせねばならないことがいろいろいるように思います。
 昨年3月建設省主催で全国歴史的風土保存に関するシンポジウムが行われましたが、要点は次の四つです。
 (1) 対象地域の全国化です。守るべき地域は狭く函館に限るべきでない。当面は函館を守るのですが、更に全道的に、全国的に「守る」考えを広めるべきです。函館はわれわれの風土であるばかりでなく日本の風土です。
 (2) 生活環境の問題として考えることです。歴史的風土といっても、われわれの生活と別個のものではない。現に住んでいる地域の問題ですから、生活の中の問題としての考えからすすめるべきです。
 (3) 歴史的蓄積を保全するということです。歴史的風土とは過去から歴史の中で生きているものです。ですから発展もし変化もしています。そのような蓄積されたものが現在の生活の豊かさの底にあるのです。昔のよさを大切にして、それをどう生かして行くかということになるでしよう。
 (4) 住民の合意による保全であるべきことです。私たちが私たちの必要によって守るのですから、行政や法的規制のように他から強制された形ですすめるべきでない。又会長一人の考えですすめるのであれば、その人が変ればだめになる。地域のみんなの考えであれば、永く立派に守られます。
 以上のことは、私たちみんなの持つべき考え方として大切ですが、いざ実践となるといろいろ問題や障害が出るでしょう。しかし苦労は覚悟で、私たちによる、私たちのための、私たちの「守る会」の運動を、地味に着々とすすめましょう。

事務局だより

事務局長 工藤 光雄

 事務局長という大役を仰せつかり、その責任の大きさをしみじみと感ております。‘函館の歴史と風土’自然と建造物とが調和された函館、他に見られない美しさ、その中に歴史を語るいろいろのものが身近かにあることを忘れているのではないだろうか。この会が発足して市民の皆さんと共に先人が残した遺産を守り、永くこれを伝えていくために、これらのことを会のスローガンである‘学び’‘知らせ’‘守ろう’を皆さんと共に歩んでいきたいと思っております。それには、‘函館の歴史的風土の形成過程’の研究から入るということで、研究活動部会が作業に入りました。永い道程ではありますが前途に明るい希望をもって頑張っていきたいと思っております。これからの活動も活発になると思いますが、皆様の御理解をもって頑張ります。事務局の充実もしていきますので、どうかお力添えの程を……。

編集後記

 会員の皆さまの熱意に支えられ会報創刊号をようやくお届けする運びになりました。思えば何回かの編集会議の中で内容の検討に始まり原稿依頼、やがて紙面の割付、一つーつの文字の指定、飾り罫の指定と回を重ねる。三人のコーヒーをすする味と表情が時によって苦く、甘くをくり返す。題字は中島荘牛氏さし絵大泉康子氏カット高橋順一氏写真道新提供と多くの方の協力で出来上った創刊号である。今後共よろしくお願いします。<田中、多田、田尻>

函館の歴史的風土を守る会会報No.1
発行所 函館の歴史的風土を守る会 事務局会報編集委員会
印刷所 スピード印刷センター
昭和53年7月8日 発行
函館市五稜郭町43番9号 〒040 五稜郭タワー株式会社内

コメント

タイトルとURLをコピーしました